骨を砕く②

2021年12月21日 曇り

 

面会は2人だけ、と言われていたが、なんだか私と従姉妹のリエちゃんも病室に入って良い、ということになった。病院が寛大なのか、ルールを破ってもいいくらい最期が近いのか。

病室に入ると6人部屋の6人はカーテンできっちりと区切られており、その入り口から2番目のベッドに叔父が横たわっていた。寝具の眩しい白色の中に小さな肌色の顔が埋まっている。布団ばかりが目立って身体の膨らみが感じられない。叔父は口を開いて目を閉じている。少し呼びかけたが無反応だ。

「寝ちゃってるみたい」

母が言って、4人でもう一度叔父の顔を覗き込んだ。安らかな、と言って差し支えないくらい平和な寝顔だった。小さくしわしわになって、老衰なんて言われて、それでも生気に満ちているように見えた。病棟内は、生活する人の大半がペラペラの入院着か半袖のスクラブを着用していることに合わせているのか、非常に暖かい。それに伴って叔父の寝顔も少し頬が上気していたから、余計にそう見えたのかもしれない。

なんとなくそろそろと足音を立てないようにして病室を出ると、ソーシャルワーカーのイノウエさんが我々を待っていた。

「最近はうとうとなさっている時間が多いみたいです」

気遣わしげなニュアンスで言う。私は叔父から生気を感じたが、実際はあまり良くないのかもしれない。私は勘違いが多い。良いものを悪く取って絶望したり、悪いものを良いととって平気な顔をしていたりする。

聞けば入院したのは12月の頭だと言う。そこから20日ほど経っていた。

 

「具体的な説明をしたい」と言って、イノウエさんは我々を先ほどまでいた休憩スペースまで促した。「具体的な説明」は先ほど闊達な医師から聞いたはずだが、と思ったが、説明が始まってから、この「具体的」は「金」の直接表現を避けた言い方だとわかった。なんと上品な人か。そうだよな、こんな手厚く世話してもらって金を払わぬわけにはいかないよな。ええもちろん払いましょう。払える範囲で。

 

叔父はこのまま病棟にいるわけにはいかなくて、院内の療養エリアに移動するということだった。そこでは月額の入院費とおむつ代がかかる。容体が悪くなって医療措置を取った場合その費用は上乗せとなるが、上限が決まっていて一定以上は取られないということだ。我々は「ある程度の苦痛を取り除く処置は望むが延命はしない」ということで合意した。

イノウエさんは鈴のような声で内訳を説明しながらメモに小学校の先生みたいな綺麗な文字で書き留めてくれる。

白くて新しくて大きくてドアがピンクだったり黄色だったりしてとても立派な病院だが、思いがけずお値段はそんなに高くない。よっぽど激しくおむつを消費しない限り、叔父が現在もらっている年金の範囲に収まる額であった。一同それぞれ密かに胸を撫で下ろすのがわかった。ここにいる者は皆、生活に困っているわけではないがそれほど裕福なわけでもない。誰かを「金銭的に面倒を見る」ことに少し怯えていたのだった。

 

聞かなければならない話も全部聞いたし、辞去する流れになる。使っていた椅子を片付け挨拶をして4人、エレベーターへとぼとぼと向かう。叔父の病室の前を通る時、母に「もう一度顔を見とく?」と聞いた。

母やヨウコ叔母にとって、ここは自宅から遥か遠い場所だ。「ちょっと行ってこよう」と思える距離ではない。叔父があとどれくらい生きるのかはまったくわからない。1年、2年とここで暮らしていけるかもしれないし、あまり長くはもたないかもしれない。95歳という年齢を考えると、次にここに呼ばれるのは亡くなったときという可能性の方が高い。たくさんの「もしや」を考えてかけた言葉だった。

母とヨウコ叔母はちょっと顔を見合わせて、首を振った。

「いいや、もう、わかったから」

そう言って、ピンクの扉の前をゆっくりゆっくり通り過ぎた。

 

リエちゃんとヨウコ叔母が乗ってきたのは小さくて四角くて黒い軽自動車だった。後部座席のドアを開けて乗り込むと、なぜか足元にほうじ茶のペットボトルが転がってくる。未開封。拾い上げて、助手席に座るヨウコ叔母のシートベルトをつけてやっているリエちゃんに振って見せた。

「ごめんごめん、ここんとこ挿そうとしていつも失敗すんだよね」

運転席の脇の物入れを指し示した。ごすん、と音を立ててペットボトルを差し込む。よし、と彼女は言ってナビに住所を入力し出した。

 

叔父はおそらくもう病院から自宅へ帰ることはない。ということは、今住んでいる場所をどうにかしないといけないということだ。歩行器を返却するついでに住まいの現状を確認しようと、女4人小さな軽自動車に同乗して向かうことになった。

ナビを確認して、リエちゃんは頭の上にのっけていた眼鏡をあるべき顔の中央に下ろした。車は病院を後にする。病院の外周をぐるりとまわらないと幹線道路の望む方向に乗れない、とナビが示す。彼女(ナビは女声だった)に従って車を走らせると、すぐに問題にぶちあたった。通るべき道が工事で塞がっている。

「こいつすぐ嘘つく」

リエちゃんがナビに毒づいたが、工事はナビにとっても不測の事態だろう。このまま通り過ぎてしまえばまたリルートしてくれると踏んでまっすぐ進む。「この先、右折です」「この先、右折です」「この先、右折です」。

 

「ほらまたここじゃん!だからここは通れねんだっつの!」

またしても工事中の看板の前に車を戻され、リエちゃんがキレた。通り過ぎるとまた右折しろとナビが一本調子に告げる。言われた通り右折して右折して、畑道の途中で停車した。

「今来た道を逆に進めばあれに乗れる」

リエちゃんはサイドブレーキを引いて振り返った。リアウインドウの向こうの道路を指差す。ふん、と決意したように鼻を鳴らすと、再びサイドブレーキを下げ、ギアを「R」に入れた。

道幅はすこぶる狭い。舗装なんてされていなくて、両側が斜面になっていて、畑道から一段低いところに耕された土が広がっている。丈の短い軽自動車でも真横になるには尻が少し畑の斜面に沈んでしまうくらいだ。リエちゃんはものともせず尻を斜面に差し込んだ。車体が傾く。後部座席に座っている私と母の身体は重力にひっぱられてシートに押しつけられる。ハンドルをいっぱいに切る。それでもこのままアクセルを踏んでターンするには道幅が足りないかも。今度は車の頭が畑に突っ込むかもしれない。思わず運転席の肩をぐっと掴んだ。

「よし、行ったれ!」

うおん、と小さなエンジンが唸った。車体は少し左に傾いで、でも畑に落ちることなく進む。片側の車輪を浮かせながら転回して逃げ出すルパン三世フィアットが浮かんだ。実際、車輪が浮くほど傾いてはいない。

 

いえー、と彼女は小さく達成感を表現した。かっこいいな、私にはできない運転だ。あんたねえ、とヨウコ叔母が少しぼやいたが、おかげ正しい進路をとることができたということはわかっているのか、あまり大きな声は出さなかった。ぎゅっとストールの布地を掴んでいた母がそうっとため息をついていた。

 

出だしは一大スペクタクルだったが、病院から叔父の住む公団住宅までは、ものの15分の距離だった。同じような建物が並ぶ敷地内をゆっくり進みながら、白い建物の壁に書かれた号数を確認する。団地って、順番通りに並んでいるようで、急にそれが途切れて続きがどこだかわからなくなったりする。くねくね同じ道を2周して、目的の12号棟の前に駐車すると、病院で会った介護支援員のサイトウさんが建物の影から姿を現した。やっぱり小走りに近づいてくる。ちょうど我々も今着いたところで、と言ってぴょこんと頭を下げた。家の鍵は病院から引き取ってきた叔父の荷物の中に入っていた。

 

叔父の部屋は最上階の真ん中にあった。戦後しばらくして、生き残った家族で都内から移り住んだ関東の端っこの公団住宅。祖母が生きていた30年ほど前まではよく訪問していたが、叔父1人になってからは来たことがなかった。その間に「公団住宅」は「UR賃貸」と名前を変えて全部そっくり建て替えられたという。なるほど、私の記憶にある4階建のおんぼろアパート群は、すっきりと背の高い真っ白なマンション群になっていた。家の中も、綺麗な板の間と和室の2DK。家賃4万強、と聞いていたがお値段以上の綺麗で丈夫そうな部屋だった。

「なんか…時計多くない?」

リエちゃんが言った。確かに、玄関からダイニングに入って、襖が開け放たれて地続きになっている和室を見渡すと、やけに時計が目立つ。白い壁掛け時計、からくり時計、黒い目覚まし、赤い目覚まし、重たそうな金属の置き時計。ポケットに入るくらいの小さな小さな置き時計もある。

「時計がお好きだったみたいです。よく時計屋さんにも通ってらしたし」

「ああ、好きだったわねお兄さん、時計。腕時計も昔から安物ばっかり何本も持ってた」

和室の小さな棚には、カシオとロンジンの腕時計が綺麗に並べて置かれている。ふうん、と私は相槌を打った。時計はどれも埃ひとつ付いておらず、正確に時間を刻んでいた。

 

畳まれていない洗濯物、新聞の束、封の開いた煎餅、黒飴、虫眼鏡、先の丸い鉛筆。部屋の中には生活感があったし雑然としていたが、それなりに片づけられていて、叔父がついこの間までちゃんとひとりで生活をしていたことが感じられた。ゴミに埋もれてもいないし、同じものを延々と買い続けたりもしていない。本当に普通の、「一人暮らしの部屋」。

サイトウさんと我々は荷物を下ろすと思い思いの場所に座った。年寄り組はダイニングテーブルの椅子に、中年組(サイトウさん含む)は畳に腰を下ろす。歩行器返却の書類にサインをし、介護支援契約解除の書類をもらった。

「イワブチさん、本当にしっかりされていて、身の回りのこともきちんとされていましたし、穏やかで優しくて素敵な方で…」

でした、と言いそうになったのをサイトウさんはそっと言い直した。

「最近は少し忘れっぽくなってきたところもあったので、ずっと請求書払いだった光熱費を銀行引き落としにする手続きをして、通帳もね、いくつかあったものを貯蓄用と生活用の2つにまとめたところだったんですよ」

そう言って、サイトウさんは棚からファイルを取り出した。あらゆる契約書と通帳と印鑑をひとつにまとめてくれていたのだ。介護支援員とはこんなこともしてくれるのか、なんともありがたい。

「新聞は今月の頭に解約してまして、生命保険などの類も特にありません。ネットもひいてませんでしたし、光熱費と家賃以外に発生する固定費はないと思います」

一番近くに座っていた私がファイルを受け取った。ガス会社、電気会社、水道、NTTの領収書が収まっている。2冊ある通帳のひとつを開く。こちらは年金の振込と固定費の引き落としが繰り返され、たまに現金が引き出されている。生活費だったのだろう。毎月の収支に大きな変動はなく、月末の端数が薄く降り積もるように貯まっている。叔父は酒は多少飲むがギャンブルはやらない。羽目を外すようなこともない。綺麗に繰り返される数字のルーチン。なるほど、生活に困るようなことも豪遊するようなこともまったくなかったようだ。

もう一冊の通帳を開く。リエちゃんが私の手元を覗き込んで、お、と声をあげた。

「結構あるじゃない」

貯蓄用だったとみられる通帳には、おそらく入院後この部屋にかかっている残りの固定費、入院費、ここを引き払う場合の片付け費用、そして来たる別れにかかるだろう費用を払ってちょうどなくなるくらいの絶妙な額が残されていた。

「ほんとだ」

「立派」

年寄り組も寄ってきて、口々に言う。

「とことん迷惑かけない人ねえ」

感心したように母が言うと、サイトウさんが誇らしげに胸を張った。

「そうなんです。95歳まであれほどしっかりと一人暮らしされる方、なかなかいらっしゃいません」

老婆たちは兄が誉められて嬉しいのかにこにこしている。高齢化とコロナ禍でここ数年は電話でやりとりするだけだったと言う。怪しげな宗教にもはまらず、浄水器や壺を買わされることもなく、オレオレ詐欺にもひっかからず、つつましく好きなパンや惣菜を買い、散歩し、たまに本を読んだり宝くじを買ってみたりする生活。さぞ穏やかだっただろうな、と想像した。

 

叔父は12月の頭に訪問医師が診察した際に具合が悪くなって救急車に乗ったということだった。サイトウさんが貴重品と着替えを少し持って一緒に行ってくれた。それきり、この部屋に戻る見込みはなくなり、今数少ない最後の身内がここに座り込んでいる。小山を築いている洗濯物も、広げられた新聞紙とその上に乗せられた虫眼鏡も、全部全部その日のまま。今日まで誰にも踏み込まれず透明な樹脂で固められたみたいに止まっていたのだ。私はマリーセレスト号を思った。

「さ…こうやってちゃんとお身内の皆さんが集まってくれて、本当にお幸せですね」

サイトウさんは涙ぐみながら言ったが、「最後に」と言いかけたのを私は聞き逃さなかった。完全に失言だが気持ちはわかる。この人はこういうふうに幾人もの人を迎えて送った人なのだ。もう叔父は人生のラストに向かい始めてしまった。この部屋も、今の状況も、今日という日全部がそれを示していた。だからもう、誰もそのことについて言及しなかった。

 

それからもう少しだけ叔父の思い出話のようなことをして、サイトウさんは帰って行った。他人と喋って少し疲れた我々が全員黙ると、時計たちがぶんぶんかちこち時を刻む音が部屋に響く。叔父はこの時計たちをうるさく感じなかったのだろうか。それとも、これなら寂しくないと思ったのか。もしかしたら大分耳が遠くなっていたのかもしれない。

私は畳に足を伸ばした。尻の後ろに手をついて、あー、と声を出すと、母が私に向かって黒い物体を差し出した。持ち手が黒くて、薄い板に穴が空いているタイプの、ディンプルキーと呼ばれるもの。この家の鍵だ。

「あとはよろしくお願いします」

後始末はお前がやれ、という意味だろう。思うように動けない老女2人と、リエちゃんは動ける中年だが、フルタイムノーリモートワーク。ぶらぶらフリーランスなんかやってる私が一番暇に見えるのは当たり前だし、実際フットワークが軽いのも私である。なんとなくそうなるだろうな、と思っていたので、素直に鍵を受け取った。全部で3本あったので、念の為1本をリエちゃんに、もう1本を母に預けた。

何からやればいいんだろう。公団へ退去の連絡をするのが先か、多少金を使っても片付けはもうまるごと業者に頼みたい。スマートフォンで遺品整理業者を検索する。「遺品整理 片付け 査定」。1K 89,000円〜。お掃除もプロが致します。出張査定無料。

 

私が検索結果をたらたらスクロールする横で、あちこち引き出しを開けたり閉めたりしていたリエちゃんが、小さな紙束を引っ張り出してきた。

「ねえねえ見て。どれか当たってないかな」

夥しい数の宝くじとスクラッチくじだった。スマートフォンは放り出して、畳に広げる。スクラッチはその場で削って当たりを確かめるはずだから望みは薄い。宝くじもよく見ると交換期限の過ぎているものばかりだ。放ったスマートフォンを引き寄せて、今度は数枚あった最近のものだけ当選番号を調べてみる。老婆たちはいつの間にか持参のクッキーを取り出してもぐもぐやっている。

「うーん…全部で2800円」

だよね、とリエちゃんは笑った。片付け費用に入れとくよ、と私が言うと、母が立ち上がった。

「形見分けしよう」

まだ死んでないよ!とリエちゃんがすかさず突っ込んだが、どのみちこの部屋はなるべく早く引き払わねばならないのだ。こうしている間にも家賃も光熱費もかかっている。荷物を整理する手配を始めなければならない。持ち出せるものは持ち出して、売れそうなものは売って片付け費用に充てるべきだ。そんなこと冷静に考えられないほど死にゆく叔父の姿にダメージを受けている人間はここにはいない。100年近く生きて、静かに人生を閉じようとしている叔父には、どちらかというと達成感のような、労いの気持ちがあったし、この終いを清々しいものにしてやりたいと思っていた。少なくとも私は。

 

家探しするほど物がないので、ぱっと見て欲しいものを言っていくスタイルにする。最近買い替えたらしい真新しい薄いテレビとからくり時計をヨウコ叔母が欲しいと言い、母は祖母の位牌がどこかにあるはずだからどうにかしないといけない、と言った。長年叔父が趣味にしていたカメラがどこかにあるかもしれない。昔の写真や収集していた切手も。全員でまだ中を見ていなかった玄関脇の小部屋へ移動した。

 

四畳半にクローゼットのついた小部屋は、本とファイルの詰まった棚で四方を囲まれていた。床にはクッキーや煎餅の缶がたくさん。中を開けるとすべてネガだった。取り出して電気にかざしてみるが、誰が映っているのかはよくわからない。私の腰の高さまで積み上げられた缶たちの全てにネガがぱんぱんに詰まっていて、でも現像した写真は、額縁に入れられ壁にかけられた2枚だけだった。どこかのお祭りを撮ったものと、青空に顔を向けるコスモスを撮ったもの。どちらも何かのコンクールで賞を獲ったやつだと母が教えてくれた。

叔父はずっと昔から写真が趣味で、足腰が丈夫な頃は三脚とカメラを携えてあちこち撮影旅行に行っていたらしい。幼い頃、何度かカメラを持った叔父と散歩に行ったことがあったのを思い出した。ニコンフィルムカメラ。レンズの蓋を無くさないように紐でくくってあった。カメラのフィルムの替え方を教えてくれたのも叔父だった。フィルムを巻き戻すクランクが折り畳まれてぱちりと綺麗に収まるところが好きで、せがんでフィルム替えするときはいつもやらせてもらった。あのカメラはまだあるのかな。

老婆たちは部屋の隅にあった「にっぽんの名曲」のCDシリーズを見てきゃっきゃしてる。夜中の通販番組で見たような、数十枚のCDが3段くらいの専用のボックスにきっちり収まっているやつ。あれ、叔父さんはフリーダイヤルに電話して買ったんだろうか。

 

折戸が開け放たれたままのクローゼットを覗くと、大きなナイロンのカメラケースがふたつ置いてあった。しかし中身は空で、そのカメラケースの外に、小さなフィルムカメラと望遠レンズがひとつだけ置いてあった。どうやら自分でカメラは処分してしまったらしい。私はフィルムカメラを手に取った。裏蓋を開けてみたが、フィルムは入っておらず、とても軽い。子供の頃に見たフィルムカメラにそっくりだったが、そのものかどうかはわからなかった。クランクを引っ張り出して回してみたが、手応えはなく、からから空回りする音だけが微かに聞こえた。

 

ヨウコ叔母がCDシリーズを持って帰りたい、と言い出し、リエちゃんが嫌そうにしている(かなり重たそうだ)。私はカメラは元の場所に戻して、本棚からカラーブックスを1冊と、ロバート・キャパのエッセイを引き抜いた。これを形見とする。