骨を砕く③

2021年12月30日 晴れ

 

病院訪問から1週間が過ぎた。私は今、銀行にいる。

 

入るなり、客らしい客が誰もいない。銀行や農協や郵便局で、先客が誰もいないという経験がなかったので、ちょっとひるんでしまった。

窓口の向こうには行ったり来たり座ったりしている行員たちの姿が見える。各窓口の上に掲げられた電光掲示板にも、それぞれ数字が赤く光っている。とりあえず順番を、私に番号を振ってください、と思いながら真ん中の四角い機械に近付くと、行員と思しき黒いスーツの女性に声をかけられた。

「ご予約はおありですか」

予約とな。特に予約を取っていないという旨を伝えると、飛び込みだとだいぶ待たせてしまうかもしれない、と申し訳なさそうに言われた。誰もいないのに?

コロナ禍だから、接触を避けるために、口座開設などはあらかじめホームページから来店予約を推奨しているのだという。つまり、ここにはもう番号を振られた透明な人たちがひしめきあっているのだ。

そうなんだあ、と内心がっくり肩を落とす。どのくらい待つことになるのか参考までに聞きたい、と言うと、用件を聞き返された。用件。私の用件は、単語ひとつで表すなら、何と言えばいいんだろうか。

 

叔父がいまして。独身で、あ、叔父が、独身です。95歳で、入院してしまったんですが、意識がなくてですね。多分、その、もうあれなんじゃないかと。それで、銀行口座をいずれどうにかすることになると思うんですけど、それって、どうしたらいいのか。いや、どのタイミングで。タイミングっていうか、その、えっと、要するにですね、それって、一言でなんて言いますかね?

 

小学校高学年くらいなら、多分今の私よりずっとちゃんと喋るだろうな、と思えるくらいつたない説明をした。説明しながら、自分があさましく見えないようにするにはどうすればいいのかまでを考えるものだから、より一層不審な喋り方になる。

今の所、多分、私は、叔父が亡くなるのを待ち切れずにどうにか金を引き出そうとしている輩だ。しかも立場は「姪」。3親等というのは、微妙に遠い。そうじゃないんですよ。備えとしてですね、これからきっと起こること全部、私がやらなきゃいけないから、何かあっても慌てたくないっていうか、その。何が「そうじゃない」んだか。

 

行員は、うんうん、とうなずきながら私の話を聞き、それから、傍にあった四角い機械の液晶に並んだいくつかのボタンのうちのひとつを、ぺん、とタッチした。機械が小さな感熱紙をべ、と吐き出す。

 

「相続関連のご説明になりますね。ざっくりとした流れになりますが、本日ご説明できると思います」

 

行員は、わかってますよ、という顔をした。と、思った。何が、どこまで伝わったのかはわかりかねるが。いや、いいじゃないか別に、高齢叔父の遺産を待ち切れない中年女でも。違法じゃないし。安いプライドだ。

 

座して待て、と言われたので、大人しく待合の合皮(っぽい)ソファに腰掛けた。

人が隣り合わないように「×」の書かれた紙が一席おきに貼られている。誰もいないんだから、どこに座ったって誰の隣にもならない。接触しない。でもきちんと「×」を避けて座った。

 

銀行の中は、白っぽくて明るくて、でも病院の白っぽさとは違う。観葉植物の緑色と、銀行自体のブランドカラーであろう緑がリンクしているように見えて(コーディネートされてるの?)、それがなんだか余計に、CG初心者が作ったみたいな、つくりものっぽい印象を与えている。個人が作った脱出ゲームにありそうな、つるつるした感じ。

もしかしたら帰りの自動ドアが開かないかもしれないな。番号を入力する装置がいつの間にか壁にへばりついていて、手がかりを探すのだ。絨毯をめくったり、観葉植物の鉢の裏側を見たり、ぶら下がっているマスコットの高さを確認したりして、暗号を探す。まさかそんなに待合時間が発生するとは思ってなかったから、手持ちの本など何もない。スマートフォンTwitterを見たりもしてみたが、それもすぐに疲れてしまって、脱出のパスワードを探す妄想をして過ごした。

 

電光掲示板が「ぴんぽーん」と鳴るのを予想していたが、なんと肉声で呼ばれた。窓口のが並ぶ横の、狭い奥まったスペースに招かれる。グレーのスーツを着た、とても若い(新卒では?)行員が愛想良く挨拶してくれた。大きな観葉植物を背に、向かい合って腰掛ける。緑色の紙のファイルを手渡される。開くと、「相続手続きのご案内」とプリントされた紙が入っていた。「このたびは誠にご愁傷様です」。申し訳ない、まだ生きているんだ。

 

最初に対応してくれた行員にしたのと同じような話をする(今度は簡潔に賢そうに話すことができた)。若い行員はちょっと眉をひそめて「叔父様、ご心配ですね」と言った。これはデリケートな仕事だな、振る舞いに気を付けないといろいろ言われたりすることも多そうだ。

 

相続というのは、被相続人が亡くならないことには動くことはできない。それ以前に何かするなら、成年後見人とやらにならねばならないそうだが、それには当の叔父の意識と時間が足りない。生前にどうしても財産をどうにかしたいというわけでもないので、亡くなった後のことを想定して、相続手続きについて教えてもらう。途中、若い行員は確認のために何度か席を外し、その度に私は数分ぼんやりすることを繰り返した。

 

基本的には専門部署と書類を郵送し合って完結するものらしい。本来なら、叔父が遺していく(予定)の、3人の老姉妹が相続人となるので、そのうちの誰かが手続きをするものなのだが、揃いも揃って、嫌だ、できない、と言う(うち1名は認知症のため意思疎通が難しいし)。代理人ができるものなのかと問うと、ひとつふたつ、書類と手間が増えるが、身分を証明できれば可能だそうだ。良かった。良かったのか? そうでなくてもパワーに溢れた手のかかる小学生を2人育てていて手一杯なのだ。そもそも事務仕事が壊滅的にできないこの私が、書類のやり取りを銀行とするなんて、本当にできんのか?

でも、きっとこれからお金がかかる。入院費、葬儀代、今住んでいる家の家賃、光熱費、家を引き払うならその作業も、きっと私1人ではできないから業者を探すことになるだろう。それが、叔父の持つ絶妙にちょうど良い額の貯金で賄うことができるのだ。やるしかなかろ。

 

幾度目かの「ぼんやり」を経て、なんとなく決意を新たにした私に、若い行員は2枚の名刺と電話番号を授けてくれた。自分と、自分がいない場合にフォローをしてくれる者だそうだ。

「何かありましたらご連絡くださいね」

ふんわりオブラートにくるんでくれたが、亡くなったら電話一本で必要な書類を一式私に送ってくれる、ということだ。私はお辞儀をした。

 

最後にくれた、猫のマスコットが印刷されたポケットティッシュをバッグに収めるところで、実母から着信があった。銀行でもろもろ相談したよ、と報告すると、ぼんやりのお前にしては行動が早いじゃないか、とお褒めにあずかった。一瞬むっとしたが、すかさず「手間をかけて悪いわね、頼りにしてるから」などとも言われて何も言えなくなってしまう。年明けには子どもらと夫を連れて顔を出すことになっている。そのときにゆっくり説明するから、と言って電話を切って、待合に戻ると、白いソファに座って、夫がすやすやと眠っていた。

 

年末の買い物ついでに連れてきたのをすっかり忘れていたのだった。本当にすまない。